日本の道路交通をまっとうにしよう
日本の道路交通と道路交通行政はまっとうではない
ここまでに説明した日本の道路交通と道路交通行政の現状を一言で表現するならば、まっとうではないと言えます。
まっとうな道路交通とは、自動車交通の「早さ」が、先進諸国があたりまえに享受しているのと同じ程度に得られること。そして、その代償として負傷事故に遭遇する「危険度」も、同程度の状態にあることだと藤田兄弟は考えます。
なぜ先進諸国の水準が基準になるかというと、自動車という文明の利器を最大限に活用しつつ、現代科学では完全に防ぐことのできない交通事故という悲惨な出来事を、最小限に抑える努力を続けて成果を挙げているという点で、地球人類の英知の最先端を行っているからです。この点で、負傷者数を増やし続けてきた日本は先進諸国の足下にも及びません。つまり、まっとうではないのです。
また、まっとうな道路交通行政とは、まっとうな道路交通が得られる道路環境の創造に成功している行政の事をいいます。 さらに、たとえ先進諸国から遅れていて、現時点ではまっとうな道路交通が得られていなくても、まっとうな道路交通を享受できる社会に向かって着実な歩みを見せている行政のこともこう呼びたいと思います。
これらの視点から日本の現状を観察すると、現時点でまっとうな道路交通が得られていないだけでなく、実のところ、単純に遅れているとは言い難い状態にあります。したがって、日本の道路交通行政はまっとうではないのです。
道路交通をまっとうにするには、どうすればよいのか
日本の道路交通が愚劣であり、とつもない損失をもたらしているのは、このようにまっとうな状態にないからなのです。それでは、道路交通をまっとうにするには、どうすればよいのでしょうか。
まっとうな道路交通を成立させるための3つの要素
まっとうな道路交通を作り上げるためには、まっとうな状態がどのようにして成立しているのか、ということを探ってみる必要があります。そうすると、必要な条件が見えてきます。
その条件とは……
- 道路構造
- 道路交通法規とその運用
- 道路利用者の意識と行動
これらの道路交通にかかわる3つの要素とそれにかかわることのそれぞれが、まっとうな状態でなくてはならない、ということです。
日本ではこれらの要素が、ほとんどまっとうと言える状態ではありません。 日本の道路交通が、先進諸国に比べて「遅く」て「危険性が高い」まっとうな状態でないのは、このためなのです。
道路交通にかかわる要素になぜ自動車が入っていないのだろうか?と疑問を持たれた方もいるかもしれません。その理由はあまり短くできないので本編で説明します。
道路交通にかかわる法令の全てを再構築する
道路構造改革では、3つの要素のそれぞれをできるかぎりまっとうな状態に近づけることで、日本の道路交通をまっとうにして行きます。 そのために、道路交通にかかわる全てを省みて、無数に存在する問題点を発見し、徹底的に修正する必要があります。
もちろん、道路交通に関わる法令や基準の全て(道路法、高速自動車国道法、道路整備特別措置法、道路構造令、道路交通法、標識令、etc)についても、哲学から見なおして、再構築することを強く提案します。
ここまでは、道路交通そのものについての問題とその解決についてでした。
さらに広い視野に立った話がつづきますが、まだまだ後の掲載になります。