「譲れ」が無いことは道路がまっとうでないことの象徴
Page 2道交法には「進行妨害をしてはならない」と書いてありますが その1
「譲れなんていう規則がなくても、日本の道路交通法でも進行妨害をしてはならないことになっているし、自分もそのつもりで運転してるよ。」という声が聞こえてきそうですが、車両を運転する方なら、一時停止の脇道や沿道の駐車場から出てきた車両に進行を妨害されて急接近したり、急ブレーキをかけたりして、「何やってんだ!」と思ったことが何度もあると思います。
このようなことは、起こってはならないことですし、道路交通がまっとうな国では滅多に起こるものではありません。それなのに、なぜ日本ではよく起こるのでしょうか。
その理由を、譲れという規則と標識が存在しないことによって起こっている、言葉の問題や運転者の意識の問題から、まずは見て行きます。
はじめに、日本の道路交通法の再確認
この際なので、条文を読んでみるのも良いのですが、強調した部分だけでも確認を。
尚、“交通整理の行なわれていない”とは、信号機や警察官の手信号が無いことをいいます。
第六節 交差点における通行方法等
(交差点における他の車両等との関係等)
第三十六条
車両等は、交通整理の行なわれていない交差点においては、次項の規定が適用される場合を除き、次の各号に掲げる区分に従い、当該各号に掲げる車両等の進行妨害をしてはならない。
一 車両である場合 その通行している道路と交差する道路(以下「交差道路」という。)を左方から進行してくる車両及び交差道路を通行する路面電車
二 路面電車である場合 交差道路を左方から進行してくる路面電車
2 車両等は、交通整理の行なわれていない交差点においては、その通行している道路が優先道路(道路標識等により優先道路として指定されているもの及び当該交差点において当該道路における車両の通行を規制する道路標識等による中央線又は車両通行帯が設けられている道路をいう。以下同じ。)である場合を除き、交差道路が優先道路であるとき、又はその通行している道路の幅員よりも交差道路の幅員が明らかに広いものであるときは、当該交差道路を通行する車両等の進行妨害をしてはならない。
3 略
4 略
(罰則 略)
第三十七条
車両等は、交差点で右折する場合において、当該交差点において直進し、又は左折しようとする車両等があるときは、当該車両等の進行妨害をしてはならない。
(罰則 略)
第八節 徐行及び一時停止
(指定場所における一時停止)
第四十三条
車両等は、交通整理が行なわれていない交差点又はその手前の直近において、道路標識等により一時停止すべきことが指定されているときは、道路標識等による停止線の直前(道路標識等による停止線が設けられていない場合にあつては、交差点の直前)で一時停止しなければならない。この場合において、当該車両等は、第三十六条第二項の規定に該当する場合のほか、交差道路を通行する車両等の進行妨害をしてはならない。
(罰則 略)
標識が無なければ簡潔な言葉も無い
「進行妨害をしてはならない」の意味は、事実上「譲れ」と同じはずです。そうでなければ、日本で交付された国際免許によって諸外国で運転してはならないし、その逆も問題となります。
ところが日本では、「譲れ」と同じ行為を求められる「進行妨害をしてはならない」と法令の条文にありながら、これを意味する標識が定められていないのです。これは、その重要な規制が目に見える形で存在しない、ということも意味します。
比較
規制の意味 | 標識とその呼び名 | |
---|---|---|
日本 | 一時停止+( 進行妨害をしてはならない )※1 | 止まれ |
諸外国 | 一時停止+譲れ | STOP |
日本 | 進行妨害をしてはならない | 存在せず※2 |
諸外国 | 譲れ | 譲れ |
そして同時に、「存在せず」の部分にあてはまるべき、「止まれ」や「譲れ」のようにその行為を意味する簡潔な言葉(標識自体の呼び名となる)が、道交法や交通の教則をはじめとする道路交通教育に関する公式な場面で全く使われていません。(厳密に言うと「止まれ」も標識に書いてあるだけで、法令には一時停止としか書かれていませんが、まあ、よしとしておきます。)
諸外国では以下のように、譲れという意味の簡潔な言葉が使われています。
- 英 “GIVE WAY” ギブウェイ
- 米 “YIELD” イエルド( それ自体に、道を、という意味が含まれているので単独 )
- 仏 “CÉDEZ LE PASSAGE” セデ レ パサージュ ※3
譲れを意味する簡潔な言葉は、交通参加者の全員が、同じ言葉か、ほとんどぶれのない言葉で記憶しておかなければならない言葉です。いま日本で、人々に交差点での義務を質問したところで「進行妨害をしてはならない」という言葉が返って来るでしょうか。でも、米国で同じ質問をすると“YIELD!”と口をそろえて返して来ることでしょう。
なぜそうなるかというと、諸外国では、止まれや譲れの規則について説明するために、その意味を簡潔に集約して表現した言葉、つまり米語でいうSTOPやYIELDを交通参加者に提供しています。そして、STOPサインは…と説明する文章中にもYIELDという言葉が使われているのです。
日本でもSTOPに相当する止まれはありますが、YIELDに相当する言葉は提供されていません。だからといって、自分で簡潔な言葉をつくる努力をするわけもなく、しかたなく教本の文章を丸飲みして「優先側の邪魔をしてはいけないんだなあ」という漠然としたイメージで自分の脳に留めているにすぎないのではないでしょうか。だから、返ってくる言葉はまちまちのはずです。そしてそれは簡潔な言葉でもないでしょう。
※1 標識の説明には進行妨害をしてはならないと書かれていません。
※2 路面標示として前方優先道路 ▽ が定められていますが、愛知県以外ではほとんど使用されていないようです。例え標示されていても、はっきり言ってだれも認識していない、意味の無い状態でしょう。
前方優先道路という道路標識も定められていますが、これもほとんど使われていません。これは譲れ標識とは別のものと考えますが、詳しくは別の項目に回します。
※3 フランス語の場合少し長く感じるかもしれませんが、「進行妨害」と言うより短い時間で言えるような言葉です。もしかすると、頭の中は単にCÉDEZ!かもしれません。 また、標識では、CÉDEZ LE PASSAGE 譲れ(命令形) ですが、文章では、céder le passage 譲る となっている場合があります。このように微妙につづりが違うのは動詞の活用によるものであり、いずれにしても、簡潔な言葉であることには変わりありません。
譲れの標識や簡潔な言葉が無いと、なぜしっかりと譲らないのか
譲れという言葉が頭にないのだから、きちんと譲ることは難しい
人がする行為のほとんどは、簡潔な言葉で表すことができます。その簡潔な言葉とは動詞です。「譲れ」は、譲るという動詞の命令形で、運転者の行動を直接的に指示する言葉です。それに対して、「進行妨害をしてはならない」や「進行を妨げてはいけません」※1は、どこが動詞かもわからない、ぼやっとした文章です。文法的に何に当たるのか調べてみましたがよくわかりません。
ここに隠された問題として、「してはならない」などの表現が単なる否定であり、自分が何をすべきなのか、という肝心なところが捉えにくい。ということがあります。
さらに問題なのが、譲れのように簡潔な動詞で表していないために、自分が何をすべきなのかを表す言葉が、頭に浮かばないということです。条文中の「進行妨害をしてはならない」は、交通教育での「きまりことば」となっていませんし、部分的に独立した簡潔な言葉ではないので記憶されないのです。
止まる、進む、曲がる、避ける、上げる、下げる、このような動詞がいくらでもありますが、それらが無かったり使えなかったりしたらどうなるかを想像してみて下さい。
例えば、ボールを投げた人に、「今ボールをどうした?」と聞いてみる実験をします。ただし、投げたとか放ったという表現は使用禁止という条件付きでです。そうすると、代わりの表現を探して思考がつっかえるでしょう。それは脳の中で「投げる」という行為を「投げる」という言葉に関連づけて行っているのに、その言葉の使用が禁止されたからだと考えられます。
その逆に考えられることとして、事実上譲れという規則に従った行動をしていながら、それを表す言葉が頭にないということは、その行為のために脳が十分に働いていない状態にあるといってよいのです。今、自分が何をしているのか、しなくてはならないのか。言語化して明確にできていないことを、ただ漠然と行っているにすぎないのです。
すこし別の見方をしてみましょう。
一時停止規制の交差点には「止まれ」標識がありますが、この場合の、目で標識を見てから止まるまでの脳の内で起こっていることを分析すると、目で見た標識を「止まれ」という短い言葉で認識することで、そこで求められている自分の行為を理解して、一時停止していると考えられます。あなたも止まれの標識を見たときに、心のどこかで「止まれ…」とつぶやいているのではないでしょうか。
また、諸外国で「譲れ」という規則と標識がある場合でも、譲れという簡潔な言葉で認識し、それに従っていると考えられます。
問題を明らかにするための実験として、鉄道の運転士がする称呼「制限70!」のように、自動車の運転中に一時停止規制の交差点にさしかかった時にも、意識的に確認するために称呼してみるとします。
すると、譲れという言葉を持っていて、一時停止規制には譲れいう規則も含まれているということを認識している人が交差点に近づいた時には「止まれ、譲れ」と簡潔に言うことができます。自分主体の言葉に換えてつぶやいたとしても、「止まる、譲る」「止まるぞ、譲るぞ」というように簡潔に表現できます。
ところが、日本の運転者は譲れという言葉を持っていないので、「止まって、交差する道路を通行する交通の進行を妨げないように。」と呪文のように唱えなければならないのです。
人は、簡潔な言葉で記憶していない行為を 差し迫った状況で行うことは難しいです。そもそも「……の進行妨害をしてはならない」の意味を、頭の中できちんと捉えられていないのに、その言葉を思い出して、実際に行動しろと言われてもそれは難しいでしょう。
※1 道交法の条文と交通の教則ですでに言葉が違う。教則では「…の進行を妨げてはいけません。」やわらかい言葉にしてしまっている。決まり切った言葉になっていない。
譲れあっての止まれのはずが、つながりを意識しにくい
Page1の図2 「 150m先はSTOPの譲れだぞ → ココで止まってよく見よ 」と関連しますが、フランスなどの欧州式標識を用いている国では、走っていて見えてくる標識の順番から、一時停止は譲るという行為の一部である、または、きちんと譲るために止まって見るという図式が 運転者の脳に染みついていると考えられます。
また、譲れ標識があたりまえに存在していて目にすること自体が、常に視覚を通して譲れという規則を脳に伝達して、この規則を意識させることに役立っているといえます。
ところが日本では、言葉の問題に加えて、「譲れ」の標識は定められてもいませんし「進行妨害をしてはならない」という標識があるわけもありません。そのため、これらの標識を目にすることが一切無いため、運転者の脳の中で「進行妨害をしてはならない」と「一時停止」という行為の関連づけが明確に行われません。きちんと譲るために止まって見る、という認識が持ちにくいのです。譲れあっての一時停止規制であるのに、止まれが譲れ抜きで存在しているようなものです。
何のために一時停止をするのか明確に意識できていないと、一時停止さえおろそかにするようになってしまいます。
もし▽の標識が定められて使われていたら、その意味が「進行妨害禁止」だとしても、今ほどひどい状態にはなっていなかったでしょう。
・米国では、▽+距離 → STOPという順ではなく、AHEAD STOP → STOP という順であるため、標識の順序からの関連づけは行われませんが、標識が存在すること、簡潔な言葉があることで役割は果たしています。
・実はフランスでも、市街地では「150m先はSTOPの譲れ」標識は必ずあるものではありませんが、その他の道路で十分な経験をするので問題ありません。
さらにこんなことも気になります
- 妨害という言葉のイメージ
- 妨害という言葉には、なかり強行なイメージがあり、少々のことなら問題がなさそうに思えてしまう。
例え進行妨害をしないという規則がしっかりと守られている社会だとしても、放置すれば崩れて行きそうなことだから、ましてや、一度たりとも、きちんできていない社会で勝手な解釈がはびこっているのも当然に思えます。
- 道交法に優先権という言葉が無い
- 日本の道交法や教則などには、優先権という言葉が一言も出てきません。そのため、邪魔してはいけないということは何となく理解できても、どこか曖昧で、優先権の有無のように厳格な感じがしないのです。これは、日本の道交法の大きな欠陥だと考えています。
道交法でも、事実上は譲る事になっていますし、優先権の概念も表しているのですが、そもそも日本の道路には、諸外国の優先権と同じ概念の優先権というものが存在しないのではないか、という疑問などが色々とあるので、また別の項目で書きます。
>> 次のページ